2001年9月11日、私は学生でアメリカに居た。
朝、実家からの国際電話で起こされてTVを見ると、
映画の宣伝がやっていた。
飛行機がWTCに突っ込む映像が何度も流れ、
それを寝起きのボーとっした頭で見ながら、
ぎゃんぎゃん心配をする母親に、
「何で、日米同時タイミングでCM…え?…え?」
それから10年経って、
2011年3月11日14時46分、私は社会人で東京に居た。
東京の片隅の雑居ビルの1Fの古き良き喫茶店で、
雑談交じりの打ち合わせ。
途中で入った同僚からの連絡が、電波がよくないのか途切れがち。
…と、思ったら、揺れ始めた。
なかなか収まらない揺れの初期に慌てて電話を切った。
軽くパニックになる同僚の腕を、
外に飛び出さないようにつかんでいる私の腕も震えていた。
絶対に仙台だ!と思った。
本当に仙台だった…
会社のTVの前は人だかりで、
「あぁ!」とか「おぉ」とか「うぅ」とか、
母音が基本の感嘆詞が口々からこぼれ、
私は私のふるさとが津波に飲み込まれていく様を
その人だかりの後ろから見ていた。
思いの他冷静だった。
と、思っていた。
津波が次々と町を襲い、
多賀城で石油コンビナートが炎上し、
気仙沼で大火事が町を焼き払う。
私にできた事は、連絡のつかない家族友人にメールを送り続けること。
「津波だ!海沿いにいたら逃げて。高い建物の屋上へ。」
「多賀城で石油コンビナート爆発炎上。近づかないで」
「気仙沼で大火事。そこへは避難きびしいです」
「マスコミのヘリが飛んでる。取り残されてたら情報を屋上へ」
「元気ですか?生きてますか?」
次の日の夕方、家族と連絡が取れた。
有難う。
何に対してかわからないけど、そう思った。
やっと、書けるようになりました。
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posted by しゅあ at 10:45| 東京 ☁|
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