2010年10月24日

鴨志田穣【遺稿集】

鴨ちゃんと出会った時には既に彼岸の人だったんだよな〜。

サイバラがなぜか今年すごく
メディアに取りざたされるようになって、
依存症について語ってみたり、
子育てについて語ってみたりしていたけど、
本当にこの人強いなって思った。

別に、強さを演出しているわけでもないし、
男に負けない女を気取っているわけでもないし、
いわゆる、「不幸を乗り越え糧にして~」って感じじゃない。
メディアとしては、
そういう方が、わかりやすいし、ウケ良さそうだし、
色々な不特定多数の人のココロの中にある
優越感や同情や近親感なんかを演出して、
お手軽な共感を得た方が楽なのかもしれないけれど、
彼女の佇まいは私にそれを許してはくれなかった。
踏まれても踏まれても、
負けずに芽を出す雑草の力強さでもなく、
いわゆる「不幸」に足蹴にされて、
弱りながらも漂っているわけでもなく、
ただそこに「在る」しなやかさが凄いって思った。

不惑とは40歳の事をさすのだけれど、
惑いまくりのアラフォー鴨ちゃん。
何かになりたくて、
何かになれなくて、
のた打ち回って、暴れて、酒飲んで、
考えて考えて考えて考えて逃げ出す。
でもさ、売文すらもままならない売文業と自分を表現してたけど、
すべての様にならない超のつく駄目っぷりを、
きちんと文にしてるじゃん。

何かになりたかった鴨ちゃんは、
浪人生になり、焼き鳥屋のバイトになり、
戦場カメラマンになり、
旦那になって、売文家になり、父になった。
何にもなれなかったんじゃなくて、
本当は、何にもなりたくなかったのかな?

鴨ちゃんの本を読むたび、
その危うさにドキドキしつつ、
魅せられて引き込まれて、
引っ張りこまれないように心を踏ん張る。

掴み取ったものでも、
自然に落ちてきたものでも、
はじめから気づけば持っていたものでも、
今何かであることの幸せをきちんと咀嚼したい。

鴨ちゃんは鴨ちゃんの中で何者でもなかったけれど、
少なくとも私の中で鴨ちゃんだったんだけどな。
出会った時に此岸の人だったら、
嬉しかったなぁ〜。


posted by しゅあ at 17:03| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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